山手御門とは、山手門(やまのてもん)(高さ約6m、幅約5m)と山手渡櫓門(やまのてわたりやぐらもん)(高さ約12m、幅約14m)のことを指し、甲府城にあった3つの出入口の中の1つです。
かつて人々は木橋と土橋で堀を渡り、城内に出入りしていました。また、山手門は城門として、山手渡櫓門は武器の倉庫としての役割も果たしていたと言われています。明治時代になると、市街地化が進み、山手御門周辺の石垣も崩され、堀は埋め立てられました。
平成10年の発掘調査で、石垣の一部が発見され、山手御門の復元を中心とした公園の整備が始まりました。門は発見された石垣を土台にし、当時の工法を用いて、「楽只堂年録(らくしどうねんろく)」※1に描かれていた姿に復元しています。
※1楽只堂年録・・・宝永2(1705)年に甲府城の城主であった柳沢吉保が石垣の改修を行う際に描かれたもの。石垣の高さ、土塀の長さなどが詳細に書かれている。
(甲府市HPより)
- 甲府城山手御門復元事業と関連イベントの記録アルバム 目次
- 甲府市歴史公園建設事業概要
- 甲府城山手門建設現場の様子
- 完成した歴史公園
- 公園に復元された戦国烽火台
- 山手御門で開催された甲府大好き祭り(2007年)
- 甲府城山手御門と蒸気機関車デゴイチが出会った(2008年)
- 甲府駅北口整備事業の写真レポート(2008年)