本調査は、日本国内および世界の新聞社・放送局など報道機関や公共機関のWEB版に掲載された記事などを主な情報源とするキュレーション(Curation)という画期的なIT手法によって、小正月行事の実施状況を継続調査し、その成果を本サイトで公開しています。ここでは、本調査の平成30年における中間報告として、以下のように集約いたします。
(1)日本の小正月火祭り行事はほぼ「どんど焼き」と呼ばれる
本調査によって、小正月の火祭り行事は、国内の北海道から沖縄までの全都道府県で実施されている日本の国民行事であることが判明いたしました。その名称は全国でほぼ「どんど焼き」と呼ばれ、そのなかで関西地方では「とんど焼き」、東北地方では「どんと焼き」、北陸、滋賀などでは「さぎちょう」、甲信越、関東では「道祖神祭」、九州で「鬼火たき」とも呼ばれています。
小正月行事は、新年元旦である大正月の行事を終えて、この1年の豊作(防災)、健康、子孫繁栄を願いながら、集落を単位とした一連の祈りの行事であり、そのクライマックスとなる火祭り行事が「どんど焼き」と呼ばれています。
実施時期は全国共通で、ほぼ1月14日から15日にかけて実施されています。しかし、九州では七日正月として、6日ないし7日のところもありました。
ただし、1月15日の成人の日が1月の第2月曜日に移され、連休とされるようになった影響でどんど焼きは、小正月にこだわることなく、住民が参加しやすいように「新成人の日」の前の休日に行われるようになった地域が多く、実施日は各地でばらけてきています。しかし、秋田県などの例では、明治以前の旧暦の伝統を守って小正月行事を祝う地域もあり、人気の高い観光イベントとなってます。
(2)小正月行事の主役は子どもたち
全国的に小正月行事の主役は、中学生以下の子どもたちが担っていることが通例となっています。子どもたちは、神の使いとなって「どんど焼き」をクライマックスとする、この1年の招福、予祝、厄払いなどの一連の行事を担っています。全国の地域コミュニティでは、子どもと大人が行事の開催のために役割分担がなされており、小正月行事を通じて地域の結びつきや世代を超えた老若男女の住民が相互理解と交流を深めています。
(3)小正月行事の祈りは、集落と子孫の持続可能な繁栄を願う
小正月の祈りとは、明治以前の旧暦の時代の伝統を引き継いだものです。旧暦時代の本来の小正月は、立春新年を迎えて最初の満月の日(望正月)に行われていました。望正月は新暦の二月から三月上旬にあたり、、野も山も春の陽にあふれ、啓蟄の候ともなります。農作業を始める節目が望正月だったのです。その節目に当たって、この一年の「五穀豊穣(豊漁)」「商売繁盛」「家内安全」「無病息災」「子宝授け・子孫繁栄」などを祈願する伝統(予祝)が、全国的でほぼ共通して現代まで継承されてきました。
小正月行事の本質は「この1年の集落の繁栄(防災)」「この1年の住民の健康」さらに「集落(コミュニティ)の明日を担う生命の再生(子宝授けと子孫繁栄)」という3つの重層的な祈りが込められています。また、書初めを燃やして、習字の上達を願う風習も全国で共通しています。
小正月行事の現代的な意義は、自分たちの集落と子孫の持続可能な繁栄への切実な祈りにあります。その祈りを住民が「神火」に託してともに行うことで、住民のきずなを確認する行事が「どんど焼き」と呼ばれています。どんなに科学技術が進歩しても、人類は気象災害から逃れることが出来ない以上、人事を尽くしてさらに祈ることは、非科学的とは言えないものです。
この祈願のこころは、地域社会の持続性維持に何が必要であるかを的確にとらえており、少子高齢化に直面する現代日本の最も切実な課題を先取りしているといえます。
ただし、都市部においては住民相互の疎遠化傾向により、どんど焼きがしめ飾りや古札などの焚き上げ行事となり、正月の締めくくりと受け止められている傾向がうかがえます。
(4)関東甲信越などでは道祖神信仰と結びつき
神奈川県など関東、山梨・長野・新潟の甲信越地方、ならびに甲信越に連なる静岡県などでは、小正月行事の火祭りを「道祖神祭」と呼んでいる事例が多数確認され、どんど焼きと道祖神信仰の強い結びつきが明らかになりました。特に神奈川、山梨、長野でその結びつきが強く出ています。
道祖神は集落の路傍に祭られる石神で、丸石、陰陽石、男女双体を刻んだ石碑、道祖神と文字を刻んだ石碑などが祭られています。その信仰は集落外からの災いの侵入を防ぐ防塞(防災)の神、岐(クナド)の神であり、子孫繁栄、健康、交通安全、家内安全などの神として信仰されています。上記の(3)に示される小正月の祈りを、がっちりと受け止める「村の守り神」としての位置づけがなされています。
(5)海外にも日本の小正月と同じ火祭り、来訪神行事が存在する
本調査により、日本の小正月行事の本質は、世界各地の新年・新春を迎える民衆行事と、ほぼ共通していることが明らかになりました。特に、韓国では、本来の旧暦小正月火祭り行事の伝統を守り、日本とほぼ同じ行事内容の集落農耕儀礼である「テボルム・タルジプ焼き」が行われていることが確認されました。タルジプ焼きは、新春の初めての満月の夜の火祭りであり、日本の江戸時代には、小正月火祭りどんど焼きは韓国と同じように「満月の火祭り」として行われていたのです。
また、イランなど中央アジアの春分を元日とする祝祭「ノウルーズ」(ササン朝ペルシャ起源)、スウェーデンの祝祭「バルボリ焼き」では、燃え上がる「焚き火」に、この1年の健康や幸せを祈願していることが分かりました。
さらに、日本の小正月来訪神行事である「アマハゲ」「スネカ」などと同じ趣旨の新年仮装行事「クランプス」「クケリ」など鬼に仮装した来訪神行事が欧州各国で広く行われていることも明らかになりました。
(6)どんど焼きの左義長起源説は、ほぼ誤りの民間伝承
これまで日本国内では、小正月火祭り行事の起源は、「平安時代に宮中で行われていた三毬杖に由来する左義長(さぎちょう)が起源である。どんど焼きとも呼ばれる」という通説が流布され、インターネット上では出典の根拠もなくコピー流用されています。ところが、本調査結果によると、韓国で小正月火祭り行事が行われていることが明らかになり、どんど焼きは日本固有の、独自の民俗行事ということすら困難になりました。
さらに、江戸時代の俳書「山の井」、「和漢三才図会」などの古書によれば、小正月の焚き火行事の行事の起源については、「唐土(とうど、中国のこと)の正月に爆竹で邪気を払う行事」が日本に伝来したものと考えられ、「とんどや、おほん」、「とんどや、はあ」というはやし言葉が使われ、はじめのうちは行事の呼び名として「爆竹」「とんど」のほかに、宮中の三毬杖・吉書焼き行事との連想で俗称として「さぎちょう」と呼ばれていたことが記されています。しかし、江戸時代初期の本格的な百科事典としてある程度の信頼性が高い「日本歳事記」では、起源について「定説なし」としています。
以上に加えて、日本最古の小正月火祭り行事に、1600年以上前の古墳時代からの伝統を持つ福岡県久留米市の「鬼夜(おによ)」があり、1300年以上前の飛鳥時代から続く奈良県御所市の「茅原(ちはら)の大とんど」などがあることから、通説の「小正月火祭り行事は左義長が起源」説は、ほぼ誤りであることが明らかとなりました。三毬杖の吉書焼きについても、韓国のどんど焼であるタルジプ焼きで同様の書初め焼きが行われていることから、日本独自の民俗行事とは言えなくなりました。
調査データにもとづいて、現時点でいえることは、小正月の火祭行事の起源は、江戸時代前期には「唐土(とうど・中国)」から伝わった正月の爆竹による邪気払い行事が起源だと考えられていたことから、中国から朝鮮半島を経由して、日本に伝来した可能性が大きいとみるのが客観性があります。
その伝来の過程で、中国の爆竹行事が農耕儀礼に変容し、新春最初の満月の夜に、その1年の農作物の豊穣や人々の健康を願う予祝行事に発展していった。これには、シルクロードを経由して、ササン朝ペルシャの新年ノウルーズの拝火行事が混入した可能性があります。
日本での行事の呼び名は、はじめのころは、焚き火が燃え上がると、唐土に由来すると思われる「とんどや、おほん」とはやし立てていたことなどから「とんど」と呼ばれ、俗称として宮中の焚き火行事である「さぎちょう」も使われていた。江戸時代後期には、青竹のはぜるドンという爆音からの連想もあり、「とんど」が音便変化して「どんど焼き」が一般的になっていったのではないかと推測されます。
しかし、アマハゲ、スネカなどの来訪神行事を含めた日本の小正月行事全体の起源は、デーがが不足していて本当のことは「分からない」というのが、現時点では最も科学的な説明だといえます。
その中で、韓国で行われている小正月火祭り行事、欧州の新年来訪神行事、イランなどの新年神火祈願行事「ノウルーズ」などと、日本の行事の関係を解明することが、今後の調査研究課題となっています。詳細については、以下の「考察編」に記述しておりますので、御覧ください。
(7)小正月行事の背景には国際的なルーツが存在する可能性
どんど焼きや関連する地方の小正月行事に関して、全国・国際的なデータ分析を基にした調査の結果から考察しますと、これまで、小正月行事は、鄙びた農山漁村の野卑な風習と思われていましたが、実際には国際的な背景を持った集落農耕儀礼であり、その背景には少なくともアジア、ヨーロッパに共通する普遍的な農耕文化基盤が存在する可能性があるということができます。少なくとも「どんど焼き」というキーワードにより、世界の民衆文化が一つにつながる可能性があります。
デジ研の小正月行事国際調査は「日本文化のルーツとは何か」について、根本から私たちに再考を求める結果をもたらしています。
(8)小正月行事は、国連2030年アジェンダを先取りする世界の文化遺産
以上の調査結果、特に(3)の結果を踏まえ、私たちは、調査報告の平成29年版において、日本の小正月行事の現代的な意義付けをこめて、「小正月行事は地域住民が集落の持続可能な発展を願い、コミュニティの繁栄と生命の再生への祈りを儀礼化した地域文化遺産」と定義いたします。
国連が提唱する持続可能な開発目標(SDGs)『持続可能な開発のための2030アジェンダ』は平成28(2016)年、スタートしました。私たちは、これまでの国際調査を踏まえて、「日本の小正月行事は、国連『持続可能な開発のための2030アジェンダ』の趣旨を先取りした地域文化遺産」ということができます。
イランの新年行事「ノウルーズ」は2009年にユネスコ無形文化遺産に登録されましたが、私たちは、日本の小正月行事もノウルーズと同等以上の文化性と精神性を持っていると言わなければなりません。すなわち、日本の小正月行事は、速やかにユネスコ無形文化遺産に登録されるべき、非常に高い文化価値を有しているといえます。
さらに、現代のテロと暴力、不寛容に満ちた世界情勢のなかで、世界の人々が、国家、民族、宗教の壁を越えて、小正月行事の「地域コミュニティの繁栄と生命の再生への祈り」を潜在的な共通価値として共有しています。このことは、「小正月行事の祈りにこそ、人類の和解へ解決の糸口が見つかる可能性がある」と私たちは提起いたします。
その詳細については、本調査結果の報告をご覧ください。
デジ研では、今後の「大正月・小正月行事研究」をより深めるために、47都道府県と関連する国際調査データをすべて公開することとしました。これらのデータは、これまでの地域文化の研究に張り巡らされていた国境の壁を取り払い、ものごとの見方や捉え方を根本から転換させる可能性を秘めております。「国内のどんな山深い里の民俗行事であっても、世界共通のルーツとつながっている」。そのパラダイム・シフトに挑戦するのは、もしかしたら、このサイトを閲覧しているあなたなのかもしれません。
本会の調査の範囲内では、日本及び海外の新年、新春を迎える火祭り行事、並びに関連行事に関する全都道府県、世界各国の詳細な実施状況の調査集計は世界で初めてであり、またインターネットで公開されたのも初めてです。
(2018年1月18日更新)
(著作権の表示:この調査データの引用は商用目的を除き自由です。出典を明らかにして、活用してください。データの加工も自由です。許諾も不要です。出典は[NPO地域資料デジタル化研究会・小正月行事全国・国際調査]でお願いいたします。商用利用を希望される場合は、下段にあるコンタクトフォームからお問い合わせください。)