TBS系の「林先生の初耳学」にデジ研アーカイブから写真を提供しました

2019年12月8日夜10時から放映されましたTBS系のバラエティ番組「林先生の初耳学」にデジ研アーカイブから写真を提供しました。
番組で出題された東大生正解率1%の超難問:現在およそ400種類以上のブランド豚が存在するほどに日本の養豚が発展したのには60年前の”ある出来事”が関係している。その出来事とは?


答え:台風被害支援のためアメリカから35頭の豚が空輸されたこと
解説:前年(昭和34年)の伊勢湾台風で大きな被害を受けたことを知った日本駐留経験のあるアメリカ軍のリチャード・S・トーマス曹長が、日本に親しみを持っていたので、支援として35頭の豚を空輸したことと、それまで日本で飼育されていた豚より大型の豚であったこと、現在の日本で飼育されている豚は遺伝子的にほとんどこの35頭の豚に繋がっていることが説明されました。

この解説を印象的にしたのが、デジ研アーカイブの「山梨県とアイオワ州の姉妹交流の記録」から提供した、富士山を遠景に大きな被害が広がる中で復旧を目指す韮﨑の写真と、豚の寄贈を呼びかけたリチャード・S・トーマス曹長(実際は軍曹)の写真です。
(下記のイメージは、放映中の番組「林先生の初耳学」でトーマス軍曹のアーカイブ写真が紹介された場面を引用)


番組では、35頭の豚が日本に贈られた経緯は概略の説明でしたが、実際には
昭和三十四年の台風七号、十五号で山梨県が大きな災害を受けたことに対して、甲府に駐留経験のあるトーマス軍曹が呼び掛けて、昭和35年1月20日、米国空軍機の協力により、アイオワ州から豚三十五頭、飼料用トウモロコシ千五百トンが見舞いとして贈られたというビッグイベントでした。
デジ研の調査では、「現在の日本で飼育されている豚は遺伝子的にほとんどこの35頭の豚に繋がっていること」は、事実として確認できていませんでした(初耳)。しかし、山梨県ではその後も35頭の豚をもとに交配改良を継続し、現在ではフジザクラポークというブランド豚を育成していることは事実です。
トーマス軍曹によって、山梨に贈られたアイオワ豚の意義は、日本の養豚に革命をもたらしたことでした。山梨県の農家は、アイオワ豚とともに贈られた1500トンものトウモロコシがまるまると太った豚の肥育に優良な成果をもたらすことを知ったのです。

この山梨の出来事以前は、庭先飼育として主に残飯やふすまなどで飼育されていました。
山梨の出来事をきっかけに、豚、牛、鶏の飼料に米国のトウモロコシ、そして大豆粕などが使われるようになったことが革命の意味です。
逆に米国の農家は、トウモロコシが国際的に輸出できる戦略物資であることに気がつき、中西部のコーンベルトが一気に拡大していきます。大豆とともに農業超大国アメリカへの道が開けたきっかけが山梨との交流に意味でした。
近年では日本が輸入する米国産トウモロコシ(穀物としての)は1600万トンにも達し、初めて日本に輸入された昭和35年当時と比べると1万倍もの規模になっています。その6~7割程度が飼料用に使われています。この膨大なトウモロコシを栽培できる農地は日本にないので、米国農家に生産委託しているとも言えます。

 この出来事の詳しい経緯は以下のデジ研アーカイブの解説を御覧下さい。
<https://www.mmdb.net/usr/digiken/Yamanashi_Iowa/page/A0001.html>

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