3 「オブローモフ」
27年から3年間、静岡高校に在学した中島敏(筑波大学名誉教授)の著「ふみあと抄」によれば「生徒の生きざまは5つに分類できた。1一授業に精出す 2一読書、学問に没頭 3一運動部活動に精励 4一紅灯の巷徘徊 5一左翼理論の研究と実践活動。混合型もあるが…」とされている。他の旧制高校も大同小異と思われるが、5の型の生徒が予想以上に多かったのではなかろうか。28年に甲府中学から静高に入った中込忠三(中央大学名誉教授)の回想からもそのような判断ができる。
護人は、ここで3人の生涯変ることなき友人を得た。「特に江森巳之助、森数男、中村正也…これらの人々は、みなマルクス主義者で、共産党員であった。私はこの人々との友情によって自らも後に共産党に入党した。彼らはみなマルクス主義の熱烈な信奉者でありながら、結局はみんな共産党からはじきだされてしまう。あるいは自分から飛び出してしまう…」と述懐している。
この時期、国内では軍部が先導しファッショ体制が着々強化されつつあり、治安維持法をてこに、大川周明、北一輝、井上日召等の右翼行動主義者、蓑田胸喜、三井甲之等の日本主義、国粋主義者にリードされたテロル、クーデターが計画実行される。社会主義・共産主義者に対する抑圧、弾圧が激化するなかで、クリスチャン護人は、非合法の「コミュニスト」の同調者=シンパとなった。
静岡高等学校、東京帝国大学法学部での生活の具体像を書き残していない。「私は、それまでに長谷部文雄訳の『資本論』を読み終えていた。大内兵衛、矢内原忠雄、河合栄次郎が東大を逐われようとした時、反対するため友人達とカをあわせた」。「ゴーゴリが夢想し、ロシア人民が待ち焦がれてきた『前へ』の一語が、日本でも発せられる時がくるとひたすら待ったのであった」「我々は、プーシキンのオネーギン、ツルゲーネフのルーデイン、レールモントフの『現代の英雄』の主人公ペチチューリンであり、そしてゴンチャロフの、さらにドブロリューボフのオブローモフであろうとした」とも書いている。
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