古代から継承する民衆の祈り

 
道祖神プロジェクト


★路傍の神・道祖神 

1)山梨市七日市場 

2)山梨市下井尻西上組 

3)塩山市上井尻能麦(のんばく) 

4)東山梨郡春日居町桑戸

5)甲府市横根町
 
 
 

 「路傍の神・道祖神」

 道祖神(どうそじん)

 道祖神は日本の民間信仰の1つである。しかし、神社に祀られることなく、聚落の辻(道路の分かれ道)や集落の境などの路傍に風雨やほこりにまみれたまま、ひっそりとたっている不思議な神様である。
 その形はさまざま。石碑、丸石、男女和合の神像などの石造物が祭られて、道祖神、サヘノカミ、ちまたの神または道ろく神などとも呼ばれ、名前もご神体もばらばら。その成立については、現在も謎に包まれたままである。
 一般的には、道祖神は、道行く人をわざわいから守り、その地域の村人やこどもたちを守り、悪疫悪霊に立ち向かう神として祀られている。しかし、その信仰の実態は、家内安全から商売繁盛、旅行安全、防災、縁結び、夫婦の性的和合から、子供の神さまで、民間信仰の対象として万能の神様である。
 この稿では、今後の研究の仮説として、律令国家成立以降の仏教や神道などの体制宗教普及の中でも、守られ続けてきた「民衆の古代からの祈り」を道祖神の本質として、提起する。
 古老の教えでは、道行く人は、道祖神にさしかかったときは、必ず礼拝するか、会釈をして通り過ぎなければいけないとされる点ではどこでも一致している。それは、道祖神の恩恵は、誰にもでも平等に及ぶという博愛への感謝の表れである。
 寺院仏閣のなかに神仏が閉じこもり、信者以外を敵として排撃する近代宗教への痛烈なアンチテーゼなのかもしれない。

 「日本書紀」では、サヘノカミをフナド(岐)と現して、外界から押し寄せてくる疫病の魔障を防ぐものと書いている。また道祖神の石碑には台石や表石に天鈿女命(あまのうずめのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)と記して祀っているところもある。猿田彦命は体が大きく、鼻が高く、口尻の赤い神。瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)降臨のとき、天鈿女命とともに高千穂峰へ案内した。神々の旅の先導を務めた故事から、中世以降、道祖神は、庚申と習合し、道案内の神・旅の守護神ともなった。
 道祖神は全国的に小正月に祭られ、ドンド焼きが行われる。ドンド焼きの火であぶった焼きだんごを食べれば、風邪や歯痛を病まぬとされ、焼いた灰を用いれば農作物の悪虫害の防ぐなどとされ、多様な信仰に発展している。 

 山梨県では道祖神体に丸石を祭ったものが多く、他県に比べ特に異なっている。山梨市七日市場にある道祖神は、山梨県内でいちばん大きいと言われ、直径110cm、高さ95cmの安山岩自然石が安置されている。

 このほか山梨県では、石棒(男根石)を祭ったものもに多い。丸石、石棒は道祖神とその土地の原始信仰との結びつきがうかがえる。
 長野県では、路傍に男女双体神が握手したり肩を寄せ合った形の男女和合の道祖神があり、縁結び信仰あるいは男女和合の神様である。

 道祖神で、記銘のあるもののうち、最も古く歴史的なものされるのは山梨市堀之内にあるもので、「奉納万治三庚子年二月日」と刻まれている。1660年の建祠(し)である。これは、石祠型であるが、内部に丸石を祀ってあり、丸石道祖神といえる。屋根は、つつかれてあちこち凹型に摩滅している。

 木祠型道祖神は、路傍では、保存が難しく数は少ない。社殿造りの彫刻に優れたものとしては、甲府市御岳町金桜神社参道入り口に高さ1m余の屋根は銅板ぶきにした道祖神がある。これと似た流れ造りの屋根ではあるが桧皮ぶきとした道祖神が甲府市東光寺町山八幡宮の境内に鎮座している。同社表に2本の石塔篭が立ち、1780(安永9)年9月6日に建てたことが記されている。
 甲府中央部の道祖神は旧柳町八日町など江戸末期は豪華な浮世絵道祖神幕を張りめぐらした道祖神祭りが行われたが、山梨県が行った1972(明治5)年の改革で禁止となり、上記の山八幡宮に片付けられてしまったと言われる。
 この中で旧魚町(中央二丁目)に木造道祖神祠が残っている。高さ118cm、奥行57cm、屋根は桧皮ぶきの流れ造り社殿で、向拝の木鼻の形が優れ、江戸時代の手法を残している。