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「どんど焼き」
山梨県では、1月14,15日の小正月の道祖神祭行事をいう。他県では「左義長」ともいう。中世の宮中行事左義長が起源と云われる。地域の各戸から、正月の門松、ササ竹、しめ飾りなどを集め、14日夜、道祖神場で燃す。その燃える火を形容してどんど焼き、どんどん焼きとも地方的に呼び方がある。 火は古代から神聖視され、その威力に神力を信じてきたので、今でもどんど焼きの火で、上新粉(米の粉)で作った団子を焼いて食べるとかぜをひかないと言われる。またこの火のあおりで、子供たちは書きぞめの紙を空へ上げるが、高く上がれば書道の手が上がる−というならわしが各地で続けられている。 山梨県内では、どんど焼きは青年や子供らの正月行事として続けられてきている。地縁集団である組を単位として、どんど焼きの直前1年以内に生まれた子供が仲間入り(あるいは氏子入り)する最初の行事としてどんど焼きを行う地域もある。山梨市では、道祖神祭りの一環として、旧正月に氏子入りから14歳までの子供たちが当番の家に集まり,食事をともにする。筆者の地域である山梨市下井尻西上組では、正月8日に行い、カレーライスに味噌汁、漬物などのメニューである。この地域では、「お日待ち」といい、大人も一緒に道祖神に供えた清酒を「御神酒」として、組内の夫婦揃って酒食をともにする。 どんど焼きは、山梨市内では、道祖神場に子供たちが作ったわら小屋を焼く、火の祭典として行われるのが通例である。昭和30年代までは、小屋の内部に囲炉裏を切って、餅を焼いて食べたり、甘酒を飲んだりする遊びの部屋でもあった。しかし、昭和50年代以降の稲作転換でわらの確保が難しく,その形態は変化している。 山梨市の隣りである塩山市や牧丘町ではスギ、ヒノキの枝で道祖神に小屋架けし、わらで大きな男根を突き立てた小屋をお仮屋(おかりや)と呼んでいる。わら小屋が作られるのは、以前に稲作地帯であったなごりである。これを甲府ではオチョウヤと言い、スギの枝を柱に、わらで御殿ふうのお宮を13日に作り上げ、14日夜にこれを燃す。都市化の流れのなかで伝統行事がすたれる風潮のために、どんど焼き小屋を作る技術は、各地で失われつつある。 元来、道祖神は道の神であり、境界を守るものとしてその境から悪病、悪魔のはいり込むのを防いだ神であったが、それがいろいろの信仰を習合し、増穂町上七尾では19歳と25歳のものが厄年払いといい神酒を供え、「高砂」のうたいが終わってどんど焼きをしたという。県内の農家では、どんど焼きのあとの灰を、田畑にまくとその年の作柄もよいといい、また峡南の方ではこの灰を持って帰って家の周囲にまけば、ヘビやムカデを防ぎ、峡東では15日のかゆ炊きの煮汁に灰を入れて練ってまき、虫よけ封じの唱えごともいう。農耕の予祝と呪(まじない)が入り組んだ形である。 |